「人たらし」のブラック心理術―初対面で100%好感を持たせる方法 内藤 誼人2005年9月刊
・先手でふざける
・自分をネタにボケ
・からかってもらえたら成功。相手もからかってあげる。
・自分の弱さを出す
・ほめることを忘れない。
・けなしてほしいタイプもいる。
・とどめに「いい線だね」→もっと良いものを引き出す。
・こじれたらすぐ謝る
・引き際・リングアウトも大切。相手の心情を汲み取る。
◇ビジネス編◇
・説教しない。レッテルを貼る。
・命令しない。柔らかく確認をする。
・謝礼は先に。
・前もって相手が納得できるように根回し。
・小言は別れる最後に
・人間は性悪説。だからこそ良い方へ導いてあげる。
・舞台を整える・空腹感はNG・一緒に食事
・奢らない
・行動で示す
どんな相手も納得させるデキる人の切り返し術―難しい局面でも優位に立てる勝利法則 石丸 幸人
2008年6月刊
・非論理人間には「勝ち」をやる
・論点をすり替えて前提を変える
・交渉上手な人とは譲歩の引き出しが豊富な人
・有利な状況で即時終了し、最後に条件をねじ込む
※筆者はヤクザやヤミ金業者を相手にする事が多いため、そういうケースでの、生身の交渉をベースに、堅気のビジネスにも応用できる交渉術・切り返し術を紹介している。
一瞬の表情で人を見抜く法 佐藤 綾子
2009年1月刊
・顔の上下や左右が不釣り合いに動く人は、外界に対する不適合
・人を見る時は鼻のつけね辺りを見る
・言葉よりも顔と表情を見ること
・音を消してテレビを見る(表情のみを読み取る訓練)
・その人の印象と表情の相関度を考えてみる。
2012年6月21日木曜日
2012年4月29日日曜日
BONES ― 動物の骨格と機能美 湯沢英治 (著), 東野晃典 (著), 遠藤秀紀
2008年6月刊
動物の骨をアート的に撮った写真集。薄い自然光のみで撮ったモノクロ。
各動物の骨について解説あり。
Build the Future 西澤 丞
2010年4月刊
巨大な最新技術の写真集。核融合研究施設、加速器研究施設、外郭放水路など。
見た目もやってる事も規格外で、日常では出会わない存在感がある。
東京Y字路 横尾 忠則
2009年10月刊
東京のY字路をひたすら撮る写真集。簡単な撮り方だが資料的価値あり。
物語の岐路、人間関係の岐路、その舞台。Y字路の魅力と特徴が分かる一冊。
ビジュアル 分解大図鑑 クリス・ウッドフォード
2009年12月刊
様々な製品を3Dで製図・分解する大型本。
説明は大雑把だが未来的製品・技術を多く紹介。
2008年6月刊
動物の骨をアート的に撮った写真集。薄い自然光のみで撮ったモノクロ。
各動物の骨について解説あり。
Build the Future 西澤 丞
2010年4月刊
巨大な最新技術の写真集。核融合研究施設、加速器研究施設、外郭放水路など。
見た目もやってる事も規格外で、日常では出会わない存在感がある。
東京Y字路 横尾 忠則
2009年10月刊
東京のY字路をひたすら撮る写真集。簡単な撮り方だが資料的価値あり。
物語の岐路、人間関係の岐路、その舞台。Y字路の魅力と特徴が分かる一冊。
ビジュアル 分解大図鑑 クリス・ウッドフォード
2009年12月刊
様々な製品を3Dで製図・分解する大型本。
説明は大雑把だが未来的製品・技術を多く紹介。
イノセンス創作ノート
イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談 押井守
2004年3月刊 341p
抜粋
人形の旅
伊豆高原の人形美術館群
モナコの自動人形博物館
オートマタ
ビスクドール
ハンス・ベルメール 「ベルメールの人形」はNY写真美術館蔵
ベルリン・ボーデ博物館 ベルメールが霊感を得た人形
身体の世界展 プラスティネイション
ラ・スペコラ いくつかの死体から型をとった蝋人形
イノセンスは身体論映画である。キャラクターはそれぞれ異なる身体を持っている。
建築の旅
記号的だったアニメの映像表現を乗り越えるには、情報量においてキャラクターに圧倒的に勝る背景美術を描くこと
既にある建築様式を使う事は特異な自然環境をゼロから構築するよりも費用対効果に優れている。建築はそれ自体が物語性を持っているため、イメージを作りやすい。
二次的現実は現実の情報量には勝らないため、お金と時間を費やしてでも自ら足を運ぶべき。現実に根拠をもたぬ妄想には説得力がない。
演出は経験則のみで作れない。原則に基づき局面において個別に当たるもの。
平たくいうと演出は意図的に凸凹を生みだして観客の情緒を誘導するもの。
近景・中景・遠景で分けて演出する。
・近景はキャラクターの領域、表面上の物語進行。
・中景は世界観実現。演出家の目的意識が支配的な場。最も情報量が集中し、真の物語が進行する。最も確信的な事実が語られる場合、近景(キャラクター)は不在となる。多くの場合、建築の内部空間がこれに充当。
・遠景は監督の秘められた物語が展開される領域。最も抽象度が高く、理解し難い、無意識の領域。性質上、ほとんどの場合空白として提示される。
これらはアニメの物理的構造であり、人間の意識構造にも照応している。
物語・世界観・キャラクターの3要素がこれらに呼応し、映画が展開する。
→他分野への応用は別として、近景・中景・遠景に分ける考え方は面白い。
身体の旅
デジタル技術により実写は、役者や撮影場所などの制約から解放され、アニメ的表現を獲得する。
究極的に求められるのは「実在する者に等しい情報量を持ちつつ、映画の中以外に根拠を持たない非在の登場人物」
実在する役者はそもそも非現実を主題とする映画にとっては存在自体が邪魔である。実在する顔は直ちに国や時代を連想させるものであり、外面にも内面にも余計な情報が多すぎる。
その短所は衣装を纏うことで繕われてきたが、最も重要な顔を甲冑で覆うことでノイズを消し去る事ができる。(極論だが、甲冑→デジタル処理とすれば、今後の映画で有り得そうである。)
個体が作り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現形であるならば、ビーバーの作ったダムや蜘蛛の巣のように、社会組織や文化は人間にとって膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置である。身体を失った現代人は都市という身体を共有することで自己を同定している。
人形を作るという行為は、人間が言葉によって自らの身体をも対象化し、外部化してきたことの象徴的実現。
対談
×養老孟司
共通の理解というものが社会的にあっても、個人の現実は違う。社会とは共同の現実という幻想を作る装置。
元々個人の現実は違うから、唯一客観的な現実を知る神という視点が出てくる。それを追いかけて共同の答えを探す科学、社会の真実を伝えるという報道という形が出来る。ひとつの現実を追うことで、日本は多神教から一神教の国になりつつある。
情報は固定されたもの。生物は動的なもの。情報中心の社会では人間自体も安定した固いものだと思いがちだが、本来、今日と明日で言う事が変わるのが人間。
実写の中で、これは嘘ではなく本物だ、ということを強く主張するものもあるが、映画はそのもの自体が嘘。役者は自然な演技をしても嘘。本当らしい顔をして嘘をつかれると「嘘つき」と感じるが、初めから嘘を嘘として扱っていれば、その点については本物(潔白)。
絶えず社会化された自分を演じなければならない人間にとって、「実は根拠のない本当(本物)」の中よりも「根拠がないものを根拠がないと言い切った世界」の方がリラックスできるから、嘘を求める。
人それぞれものの見方が違い、記憶も都合よく変化していくから、やはり現実というのは虚構。
×四谷シモン
よく出来た人形は、まるで死体のように見える。
今を生きる人たちは「パートタイムの身体」、動物は「フルタイムの身体」
×鈴木敏夫
キャラクターの喜怒哀楽を通して人類や歴史を描くという映画の構造に一種の危うさを感じる。
押井守の映画は登場人物まで観念的で、情緒(喜怒哀楽)を廃している。
「ナウシカ」は自然に対する単純明快な論理だが、「もののけ」はそれだけではもう整理できないという監督の悩みを訴えた映画。その分宮崎駿だけが持っているある種の爽快感がない。
最近の若いアニメーターは身体を失った世代。宮崎駿のように生きた身体の感覚がないから活き活きとした感覚のアニメーションが描けない。情報化の普及で感覚の延長線上にあるものは膨大に広がっているが、自分の身体を意識・実感する瞬間が減っている。首から上だけで生きている。
若い監督の日本映画からは食事のシーンが消えている。人間らしい行為が消え、どういう生活をするどういう人間なのかが分からない。つまり身体が消えているということ。
生活感を廃したキャラクターを好んで描いている。そういう作品と風潮の上に育っているから、生活感自体を描けない。
イノセンスは、言葉で語られる前に存在する身体を持つ犬(動物)と、観念として人間が作りだした身体の象徴である人形によって、人間が身体を獲得しているという映画。ただ、犬はただの代替物ではなく、その背後にある膨大な無意識の世界にもまた、(今後の人間に繋がる)可能性を感じる。
「イノセンス(無垢)、それはいのち」というタイトルとコピーが主題に繋がっている。
全部わかっちゃう映画というのはつまらない。自分の中で考える事によって面白くなる映画もある。わからないものはわからないまま、自分の中で反芻すればいい。
感想
非常に興味深い本だった。読み始めは、なんか独善的で偉そうな人だなという印象だったが、
自分と少し距離を置いて読む事で、一人の他人の観念として受け入れることが出来た。
正しいかどうかは別として、面白い事を言っていると思う。
やたらと解り辛いのは、反論へ備えた防御のように見えて、どうも捻くれながら今まで来たのかなぁと人柄を想像してしまうが、閉じ籠っているようで外を見る目は鋭いし、中で熟成されてきた感覚や考え方は刺激的だった。
好きか嫌いかは別として、この人自身は面白い。
言っている事はまだ感覚として理解しきれない部分が多いので、時間が経ってからまた、映画と共に読み返したいと思う。
余談だが、「ビューティフルピープル・パーフェクトワールド」という漫画を1話だけ読んだ。顔や身体の整形技術が安価になり、ほとんどの人々が見た目をいじっているという未来の世界のお話だ。
押井守風に考えるなら、整形をするということは身体の一部を人形に置き換える行為になるのだろうか。それは人形への憧れにも、失った身体への回帰にも繋がらないように思う。身体の価値はより下がり、結果的に現在の「顔面文化」すら崩れ、見た目に何の意味もなくなる。攻殻機動隊の中で、身体のパーツのほとんどが作り物のバトーや、ネットと融合し身体すら捨てた素子を思い出した。
同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになり、組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死である、という台詞がある。人間の身体が統一された変化のない情報になった時、社会や人間は止まり、風化していくという事だろうか。
2004年3月刊 341p
抜粋
人形の旅
伊豆高原の人形美術館群
モナコの自動人形博物館
オートマタ
ビスクドール
ハンス・ベルメール 「ベルメールの人形」はNY写真美術館蔵
ベルリン・ボーデ博物館 ベルメールが霊感を得た人形
身体の世界展 プラスティネイション
ラ・スペコラ いくつかの死体から型をとった蝋人形
イノセンスは身体論映画である。キャラクターはそれぞれ異なる身体を持っている。
建築の旅
記号的だったアニメの映像表現を乗り越えるには、情報量においてキャラクターに圧倒的に勝る背景美術を描くこと
既にある建築様式を使う事は特異な自然環境をゼロから構築するよりも費用対効果に優れている。建築はそれ自体が物語性を持っているため、イメージを作りやすい。
二次的現実は現実の情報量には勝らないため、お金と時間を費やしてでも自ら足を運ぶべき。現実に根拠をもたぬ妄想には説得力がない。
演出は経験則のみで作れない。原則に基づき局面において個別に当たるもの。
平たくいうと演出は意図的に凸凹を生みだして観客の情緒を誘導するもの。
近景・中景・遠景で分けて演出する。
・近景はキャラクターの領域、表面上の物語進行。
・中景は世界観実現。演出家の目的意識が支配的な場。最も情報量が集中し、真の物語が進行する。最も確信的な事実が語られる場合、近景(キャラクター)は不在となる。多くの場合、建築の内部空間がこれに充当。
・遠景は監督の秘められた物語が展開される領域。最も抽象度が高く、理解し難い、無意識の領域。性質上、ほとんどの場合空白として提示される。
これらはアニメの物理的構造であり、人間の意識構造にも照応している。
物語・世界観・キャラクターの3要素がこれらに呼応し、映画が展開する。
→他分野への応用は別として、近景・中景・遠景に分ける考え方は面白い。
身体の旅
デジタル技術により実写は、役者や撮影場所などの制約から解放され、アニメ的表現を獲得する。
究極的に求められるのは「実在する者に等しい情報量を持ちつつ、映画の中以外に根拠を持たない非在の登場人物」
実在する役者はそもそも非現実を主題とする映画にとっては存在自体が邪魔である。実在する顔は直ちに国や時代を連想させるものであり、外面にも内面にも余計な情報が多すぎる。
その短所は衣装を纏うことで繕われてきたが、最も重要な顔を甲冑で覆うことでノイズを消し去る事ができる。(極論だが、甲冑→デジタル処理とすれば、今後の映画で有り得そうである。)
個体が作り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現形であるならば、ビーバーの作ったダムや蜘蛛の巣のように、社会組織や文化は人間にとって膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置である。身体を失った現代人は都市という身体を共有することで自己を同定している。
人形を作るという行為は、人間が言葉によって自らの身体をも対象化し、外部化してきたことの象徴的実現。
対談
×養老孟司
共通の理解というものが社会的にあっても、個人の現実は違う。社会とは共同の現実という幻想を作る装置。
元々個人の現実は違うから、唯一客観的な現実を知る神という視点が出てくる。それを追いかけて共同の答えを探す科学、社会の真実を伝えるという報道という形が出来る。ひとつの現実を追うことで、日本は多神教から一神教の国になりつつある。
情報は固定されたもの。生物は動的なもの。情報中心の社会では人間自体も安定した固いものだと思いがちだが、本来、今日と明日で言う事が変わるのが人間。
実写の中で、これは嘘ではなく本物だ、ということを強く主張するものもあるが、映画はそのもの自体が嘘。役者は自然な演技をしても嘘。本当らしい顔をして嘘をつかれると「嘘つき」と感じるが、初めから嘘を嘘として扱っていれば、その点については本物(潔白)。
絶えず社会化された自分を演じなければならない人間にとって、「実は根拠のない本当(本物)」の中よりも「根拠がないものを根拠がないと言い切った世界」の方がリラックスできるから、嘘を求める。
人それぞれものの見方が違い、記憶も都合よく変化していくから、やはり現実というのは虚構。
×四谷シモン
よく出来た人形は、まるで死体のように見える。
今を生きる人たちは「パートタイムの身体」、動物は「フルタイムの身体」
×鈴木敏夫
キャラクターの喜怒哀楽を通して人類や歴史を描くという映画の構造に一種の危うさを感じる。
押井守の映画は登場人物まで観念的で、情緒(喜怒哀楽)を廃している。
「ナウシカ」は自然に対する単純明快な論理だが、「もののけ」はそれだけではもう整理できないという監督の悩みを訴えた映画。その分宮崎駿だけが持っているある種の爽快感がない。
最近の若いアニメーターは身体を失った世代。宮崎駿のように生きた身体の感覚がないから活き活きとした感覚のアニメーションが描けない。情報化の普及で感覚の延長線上にあるものは膨大に広がっているが、自分の身体を意識・実感する瞬間が減っている。首から上だけで生きている。
若い監督の日本映画からは食事のシーンが消えている。人間らしい行為が消え、どういう生活をするどういう人間なのかが分からない。つまり身体が消えているということ。
生活感を廃したキャラクターを好んで描いている。そういう作品と風潮の上に育っているから、生活感自体を描けない。
イノセンスは、言葉で語られる前に存在する身体を持つ犬(動物)と、観念として人間が作りだした身体の象徴である人形によって、人間が身体を獲得しているという映画。ただ、犬はただの代替物ではなく、その背後にある膨大な無意識の世界にもまた、(今後の人間に繋がる)可能性を感じる。
「イノセンス(無垢)、それはいのち」というタイトルとコピーが主題に繋がっている。
全部わかっちゃう映画というのはつまらない。自分の中で考える事によって面白くなる映画もある。わからないものはわからないまま、自分の中で反芻すればいい。
感想
非常に興味深い本だった。読み始めは、なんか独善的で偉そうな人だなという印象だったが、
自分と少し距離を置いて読む事で、一人の他人の観念として受け入れることが出来た。
正しいかどうかは別として、面白い事を言っていると思う。
やたらと解り辛いのは、反論へ備えた防御のように見えて、どうも捻くれながら今まで来たのかなぁと人柄を想像してしまうが、閉じ籠っているようで外を見る目は鋭いし、中で熟成されてきた感覚や考え方は刺激的だった。
好きか嫌いかは別として、この人自身は面白い。
言っている事はまだ感覚として理解しきれない部分が多いので、時間が経ってからまた、映画と共に読み返したいと思う。
余談だが、「ビューティフルピープル・パーフェクトワールド」という漫画を1話だけ読んだ。顔や身体の整形技術が安価になり、ほとんどの人々が見た目をいじっているという未来の世界のお話だ。
押井守風に考えるなら、整形をするということは身体の一部を人形に置き換える行為になるのだろうか。それは人形への憧れにも、失った身体への回帰にも繋がらないように思う。身体の価値はより下がり、結果的に現在の「顔面文化」すら崩れ、見た目に何の意味もなくなる。攻殻機動隊の中で、身体のパーツのほとんどが作り物のバトーや、ネットと融合し身体すら捨てた素子を思い出した。
同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになり、組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死である、という台詞がある。人間の身体が統一された変化のない情報になった時、社会や人間は止まり、風化していくという事だろうか。
2012年4月17日火曜日
プロフェッショナル 仕事の流儀7
プロフェッショナル 仕事の流儀7 茂木健一郎&「NHKプロフェッショナル」制作班
2006年11月刊 171p
要約
カーデザイナー / 奥山清行
国際的な舞台で活躍するトップ・デザイナー。2002年に「エンツォフェラーリ」を発表する。
現在はイタリア・トリノの名門デザインスタジオで、デザイン部門の最高責任者(デザイン・ディレクター)を務める。
元々強靭な気質ではないが、仕事に挑む際は「猛獣使い」になるための仮面を被る。
人の根本は変わらなくとも、人との接し方、自分の表現の仕方はどんどん変えてゆけるものだ。
英語の時は英語の人格、イタリア語の時はイタリア語の人格がある。言葉が違うから考え方も変わるわけで、思考回路が切り替わる。
世界から来たデザイナー達は猛獣。その猛獣を従わせるには自分の場合、実力を示すしかない。だから一番スケッチをするし、腕は常に磨き続ける。
道具にこだわり、手が生み出してくれる偶発性を大事にする。
エンツォフェラーリを生みだすのにかかったスケッチは15分。今までの膨大な努力がそれを生みだした。
「美しくないものは罪」ものを作るということは、代わりに他の何かが破壊されるということ。新しいものは、その破壊を超える価値がなければならない。
必要なものだけで生きていたら動物と同じ。必要でないものが沢山あって、またそれを作り出していくのが人間。だからこそ真剣に作ったものでなければデザインは意味がない。機能の裏付けがあって、表面的でなく説得力のある美しさを追求したい。
見た目の奥に深いものが潜んでいるという雰囲気は絶対に通じる。プロは、一般人に理解できなくとも、その裏の仕組みを全て分かっていなければならない。
「1日に20個、恥をかけ」
自ら恥をかこうと思うぐらいでないと、新しい事に飛び込んでいけない。心の奥にプライドを持ち続ける事は結構だが、もっと表面的な部分で恥をかくことも大切。
日本人が海外で活躍するために必要なのは、まずコミュニケーション。現実には4分の1程度しか伝わっていない事が多い、だとしたら自分で考える4倍の量を話すこと。
「魚は、自分の周りに水がある事に気づいていないのではないか」外から来た日本人だからこそイタリアの文化や本質に気付けるものがある。
棋士 / 羽生善治
大局の前に思い浮かべる言葉「玲瓏(れいろう)」
透き通り、曇りのないさま。雑念にとらわれず、澄み切った心で盤面に向かう。
対局中に考えていることは大雑把にいって「読み」と「大局観」
読みが具体的な手を読んでいくことなら、大局観は全体の方向性を決めること。数多くの手の中から、まず直感で多くの手を捨てる。
直感とは、今まで自分が積み重ねてきたものの中から迷いなく浮かび上がるもの。
若い時の勢いにまかせた勝負は、発想が乏しくとも、一貫性があって戦略的には優れている。
歳を重ねると色々な選択肢が増えて、全体に一貫性がなくなってしまいがち。そういった事に対する意識を合わせて上げていかないと、良い結果を残し続けるのは難しい。
手堅く無難にいっても、そこからは何も生まれてこない。納得のできる良い作戦で、のちの自分に繋がるなら、1つ2つの負けは苦にならない。
将棋の世界は進化し続けているから、自分のスタイルをその流れに合わせていくというのが正しい姿だと思う。
集中力は日によって違う。大切なのは、集中力が今一つの時でも無理をしないこと。集中が切れない程度に考えていく。
切れる時は切れた方がいい。そこで一旦発散できる。負けは全部自分に返るので、そういうこともある方がいい。
一方で、外からのプレッシャーが集中力を引き出すのに大事な役割を果たすということも事実。
何かを成し遂げたという経験があれば、結果が出ていない状態でも踏ん切りが利く
変化はしていても、自分自身の核は揺らがない。目指すところは揺るぎない人。
料理人 / 徳岡邦夫
「102%にこだわる」
人間の能力は100%あるのに80%しか使わない。使わないと、能力が縮んでしまう。だから101%や102%というギリギリの淵に立ち、瀕死の時に能力が膨らむ。
150%や200%ではパンクしてしまうけど、1~2%の無理だったら、あえてしてみる。
「工夫して 心くだくる想いには 花鳥風月みな料理なり」
「くだくる」は、大波が岸壁にぶつかって木っ端微塵になること。たとえ相手に伝わらなかったとしても、それほどの想いで工夫をするのが料理。
海の波は砕け散っているが、何年も経てば岸の方が削れたりする。
「もてなし」は相手のすべてを想像すること。
感想
ずっと羽生善治のプロフェッショナルを見たかったのだが、偶然図書館で本になっているのを見て借りてしまった。
文面でもその真意は色褪せない。とはいえ、やはり映像で見たいと思う。顔つきや表情、声や身振りも大切な要素だ。それを感じ取りたかった。
羽生の章のみを読むつもりだったが、せっかくなので他の二人も目を通し、また読み返したい所を要約した。
カーデザイナー・奥山清行の章は流石の気迫だった。決して料理人・徳岡邦夫の章が薄いわけではないが、自分に響くものの違いだろう。
全体として一番印象に残ったのは奥山清行の人柄だった。ジャパンバッシングの激しい80年代後半にアメリカへ渡り、学校や就職先では常に批判に晒されるという状況の中を生き抜き、結果を残してきた。本当に強い人間だと思う。生まれ持った耐性の強さもあるかもしれないが、その不屈の精神が羨ましい。
2006年11月刊 171p
要約
カーデザイナー / 奥山清行
国際的な舞台で活躍するトップ・デザイナー。2002年に「エンツォフェラーリ」を発表する。
現在はイタリア・トリノの名門デザインスタジオで、デザイン部門の最高責任者(デザイン・ディレクター)を務める。
元々強靭な気質ではないが、仕事に挑む際は「猛獣使い」になるための仮面を被る。
人の根本は変わらなくとも、人との接し方、自分の表現の仕方はどんどん変えてゆけるものだ。
英語の時は英語の人格、イタリア語の時はイタリア語の人格がある。言葉が違うから考え方も変わるわけで、思考回路が切り替わる。
世界から来たデザイナー達は猛獣。その猛獣を従わせるには自分の場合、実力を示すしかない。だから一番スケッチをするし、腕は常に磨き続ける。
道具にこだわり、手が生み出してくれる偶発性を大事にする。
エンツォフェラーリを生みだすのにかかったスケッチは15分。今までの膨大な努力がそれを生みだした。
「美しくないものは罪」ものを作るということは、代わりに他の何かが破壊されるということ。新しいものは、その破壊を超える価値がなければならない。
必要なものだけで生きていたら動物と同じ。必要でないものが沢山あって、またそれを作り出していくのが人間。だからこそ真剣に作ったものでなければデザインは意味がない。機能の裏付けがあって、表面的でなく説得力のある美しさを追求したい。
見た目の奥に深いものが潜んでいるという雰囲気は絶対に通じる。プロは、一般人に理解できなくとも、その裏の仕組みを全て分かっていなければならない。
「1日に20個、恥をかけ」
自ら恥をかこうと思うぐらいでないと、新しい事に飛び込んでいけない。心の奥にプライドを持ち続ける事は結構だが、もっと表面的な部分で恥をかくことも大切。
日本人が海外で活躍するために必要なのは、まずコミュニケーション。現実には4分の1程度しか伝わっていない事が多い、だとしたら自分で考える4倍の量を話すこと。
「魚は、自分の周りに水がある事に気づいていないのではないか」外から来た日本人だからこそイタリアの文化や本質に気付けるものがある。
棋士 / 羽生善治
大局の前に思い浮かべる言葉「玲瓏(れいろう)」
透き通り、曇りのないさま。雑念にとらわれず、澄み切った心で盤面に向かう。
対局中に考えていることは大雑把にいって「読み」と「大局観」
読みが具体的な手を読んでいくことなら、大局観は全体の方向性を決めること。数多くの手の中から、まず直感で多くの手を捨てる。
直感とは、今まで自分が積み重ねてきたものの中から迷いなく浮かび上がるもの。
若い時の勢いにまかせた勝負は、発想が乏しくとも、一貫性があって戦略的には優れている。
歳を重ねると色々な選択肢が増えて、全体に一貫性がなくなってしまいがち。そういった事に対する意識を合わせて上げていかないと、良い結果を残し続けるのは難しい。
手堅く無難にいっても、そこからは何も生まれてこない。納得のできる良い作戦で、のちの自分に繋がるなら、1つ2つの負けは苦にならない。
将棋の世界は進化し続けているから、自分のスタイルをその流れに合わせていくというのが正しい姿だと思う。
集中力は日によって違う。大切なのは、集中力が今一つの時でも無理をしないこと。集中が切れない程度に考えていく。
切れる時は切れた方がいい。そこで一旦発散できる。負けは全部自分に返るので、そういうこともある方がいい。
一方で、外からのプレッシャーが集中力を引き出すのに大事な役割を果たすということも事実。
何かを成し遂げたという経験があれば、結果が出ていない状態でも踏ん切りが利く
変化はしていても、自分自身の核は揺らがない。目指すところは揺るぎない人。
料理人 / 徳岡邦夫
「102%にこだわる」
人間の能力は100%あるのに80%しか使わない。使わないと、能力が縮んでしまう。だから101%や102%というギリギリの淵に立ち、瀕死の時に能力が膨らむ。
150%や200%ではパンクしてしまうけど、1~2%の無理だったら、あえてしてみる。
「工夫して 心くだくる想いには 花鳥風月みな料理なり」
「くだくる」は、大波が岸壁にぶつかって木っ端微塵になること。たとえ相手に伝わらなかったとしても、それほどの想いで工夫をするのが料理。
海の波は砕け散っているが、何年も経てば岸の方が削れたりする。
「もてなし」は相手のすべてを想像すること。
感想
ずっと羽生善治のプロフェッショナルを見たかったのだが、偶然図書館で本になっているのを見て借りてしまった。
文面でもその真意は色褪せない。とはいえ、やはり映像で見たいと思う。顔つきや表情、声や身振りも大切な要素だ。それを感じ取りたかった。
羽生の章のみを読むつもりだったが、せっかくなので他の二人も目を通し、また読み返したい所を要約した。
カーデザイナー・奥山清行の章は流石の気迫だった。決して料理人・徳岡邦夫の章が薄いわけではないが、自分に響くものの違いだろう。
全体として一番印象に残ったのは奥山清行の人柄だった。ジャパンバッシングの激しい80年代後半にアメリカへ渡り、学校や就職先では常に批判に晒されるという状況の中を生き抜き、結果を残してきた。本当に強い人間だと思う。生まれ持った耐性の強さもあるかもしれないが、その不屈の精神が羨ましい。
恋脳指数 Love-brain Quotient
恋脳指数 Love-brain Quotient 知能指数(IQ)より人生を左右する恋愛脳テスト 澤口俊之
2010年6月刊 188p
HQの本と同じく澤口先生の著作。
脳科学に興味はないけど科学の力を借りて恋愛を成功させた~い的なお手軽ハウツー本。HQの本と同じテンションで読み始めたので若干肩透かしだった。
前半は恋愛脳指数LQ(Love-brain Quotient)を測る52問のテスト、後半は倉田真由美との対談が載っている。対談相手に倉田真由美というあたりでまず首を捻ってしまうのだが、52門のテストによると倉田真由美のLQは120という数値で、これはIQと同じ算出法なので120はかなり高い恋愛脳力を持つという事になる。
しかし倉田真由美といえばどう見ても恋愛が上手くいっていない方の人だと思うのだが、故に最初は澤口先生流の皮肉で彼女を招いたのではないかと疑って読んでいたのだが、どうもそうではないらしい。よくよく読んでいくと、恋愛脳は強ければ強いほど良い、というものではない事が分かる。
LQ診断の説明を見ると最も良いのはLQ105~115の人たちで、それ以上のLQの持ち主はとてもモテるが成功と幸せを掴めるかは両極端であるという。
同時に高LQであればあるほど他の知性も高いとあり、なんとなく釈然としない。他の知性も高いなら、失敗の確率も低くなって然るべきではないか。
しかしそう思うのは自分が男性だからであって、女性、とくに恋愛脳の強い女性は、他の知性がいくら発達していても、抗えない感覚や環境があるのかもしれない。男女の脳の違いは、思うより多岐に渡り難しい。
基本的にあまり深く掘り下げる内容ではなかったが、「マスキラリティ顔」の話は面白かった。マスキラリティとはメスにとって進化的に魅力的なオスのことで、人間では世間体や体裁を気にしない豪放な男や、個性的すぎる男、そして生殖能力が非常に強い男であるという。具体的には以下の特徴を持つ。
①あまりぽっちゃりしていない ②顎がしっかりしている ③鼻と口が大きめ ④目はどちらかといえば吊り目がち ⑤左右対称(シンメトリー)
マスキラリティにかかった女性は、判断能力が麻痺し、相手の性格や過去の遍歴などの重要な部分が見えなくなってしまう。そのため短期的な恋愛相手には良いが、長期的にはマスキラリティの低い男性を選ぶ方が良いとされる。マスキラリティの強い男性は非常にアクティブで、浮気をする可能性が高くなるからである。
2010年6月刊 188p
HQの本と同じく澤口先生の著作。
脳科学に興味はないけど科学の力を借りて恋愛を成功させた~い的なお手軽ハウツー本。HQの本と同じテンションで読み始めたので若干肩透かしだった。
前半は恋愛脳指数LQ(Love-brain Quotient)を測る52問のテスト、後半は倉田真由美との対談が載っている。対談相手に倉田真由美というあたりでまず首を捻ってしまうのだが、52門のテストによると倉田真由美のLQは120という数値で、これはIQと同じ算出法なので120はかなり高い恋愛脳力を持つという事になる。
しかし倉田真由美といえばどう見ても恋愛が上手くいっていない方の人だと思うのだが、故に最初は澤口先生流の皮肉で彼女を招いたのではないかと疑って読んでいたのだが、どうもそうではないらしい。よくよく読んでいくと、恋愛脳は強ければ強いほど良い、というものではない事が分かる。
LQ診断の説明を見ると最も良いのはLQ105~115の人たちで、それ以上のLQの持ち主はとてもモテるが成功と幸せを掴めるかは両極端であるという。
同時に高LQであればあるほど他の知性も高いとあり、なんとなく釈然としない。他の知性も高いなら、失敗の確率も低くなって然るべきではないか。
しかしそう思うのは自分が男性だからであって、女性、とくに恋愛脳の強い女性は、他の知性がいくら発達していても、抗えない感覚や環境があるのかもしれない。男女の脳の違いは、思うより多岐に渡り難しい。
基本的にあまり深く掘り下げる内容ではなかったが、「マスキラリティ顔」の話は面白かった。マスキラリティとはメスにとって進化的に魅力的なオスのことで、人間では世間体や体裁を気にしない豪放な男や、個性的すぎる男、そして生殖能力が非常に強い男であるという。具体的には以下の特徴を持つ。
①あまりぽっちゃりしていない ②顎がしっかりしている ③鼻と口が大きめ ④目はどちらかといえば吊り目がち ⑤左右対称(シンメトリー)
マスキラリティにかかった女性は、判断能力が麻痺し、相手の性格や過去の遍歴などの重要な部分が見えなくなってしまう。そのため短期的な恋愛相手には良いが、長期的にはマスキラリティの低い男性を選ぶ方が良いとされる。マスキラリティの強い男性は非常にアクティブで、浮気をする可能性が高くなるからである。
2012年4月16日月曜日
幸せになる成功知能 HQ(humanity quotient)
幸せになる成功知能 HQ(humanity quotient) 澤口俊之
2005年9月刊 318p
要約
脳はそもそも小さな機能(知性)が集ったモジュールの集合体であり、それらの知性を統括するのが前頭連合野のHQである。
ニューロンはコンピュータよりも伝達速度は遅いが、情報を並列処理する事に長ける。複雑に絡んだ知性の並列処理こそが知性の多重性を生み、それらを統括するシステムとして生まれたのが前頭連合野である。
また脳は多重性の他に「階層性」を持ち、取り込んだ情報を再構成・再構築して対象を認識する際の過程が細かい処理を段階的に行うようになっている。そのため知性も階層性を備えており、我々は階層的処理を経て世界を再構成し認識するように出来ている。
前頭連合野の知性HQは様々な知性(認知心理学の広義な分類による言語的知性・絵画的知性・空間的知性・論理数学的知性・音楽的知性・身体運動的知性など)を統括しながら人間の中心となる「自我」を形成している。システムとしては「脳内操作系(自分の脳活動をモニターしつつ適切に操作するシステム)」と「脳間操作系(他者の脳活動を上手く読み取りつつ操作するシステム)」を司り、社会的に上手く生きていく能力に繋がっているため、即ち人生の成功・幸福とも相関するとされる。
EQ(感情的知性)は脳科学的にはHQの下部組織で、自分の感情を制御する働きの事であるが、それだけの知性であり、具体的にどのような脳領域と結びついているかは曖昧である。
HQの役割とは社会の中で将来に向けた計画を立てながら前向きかつ理性的に生きることにあり、多くの研究や症例から以下の諸能力を含む。
○将来へ向けた展望・夢(未来性志向)、計画性
○高度な思考力、問題設定および問題解決能力、一般知能(IQg)
○主体性、独創性、想像性
○好奇心、探究心、やる気、意志力、集中力
○幸福感、達成感
○理性(感情の制御)、自己制御、社会性(とくに協調性)、「心の理論」
将来への展望・計画、一般知能(IQg)を中心にその下の三つの項目が絡み合い、他者とは理性・社会性・心の理論で繋がっている図である。
将来へ計画を立てて行動出来るのは人間のみであり、特殊かつ固有の能力である。IQgとは全ての知的作業に共通する知性「General intelligence」のことで、IQが言語性知能と行為性知能を足して2で割ったようなものであるのに対して、IQgは全ての知能に関係する最高次の知能である。
IQgに関わる領域は前頭連合野の中でも中心的な領野である46野で、ワーキングメモリのセンターでもあるため、IQgとワーキングメモリは深く関係する。IQは前頭連合野以外の脳領域の知能だが、IQgは前頭連合野の中心的な知能指数であり、IQが高くともIQgが低い場合がある。またIQgはIQと違い、「人生の成功度」とも深く相関するとされている。
IQgの60%が遺伝であり、残りの40%は成長過程の教育・環境に影響される。60%というのは脳科学的に一般的な数字であり、悲観するものではない。遺伝的にIQgが低くとも、きちんとした環境で脳を育てれば全体として十分に伸びる事を意味する。
うつ病や統合失調症など前頭連合野の異常によって起こる病気は多くあり、ストレスや環境等で一時的にHQの能力が低下する事もある。人の行動や健康に深く関係し、事実上性格にも関係するため、 昨今の若者の将来への展望や目標がなく刹那的というのはHQ能力の低下と見る事も出来、様々な社会問題や犯罪にも関係していると推測されるが余談である。
脳の様々な知性には臨界期があるが、前頭連合野の発達のピークは4歳~6歳にあり、HQの臨界期は8歳頃までと言える。HQを育てるには十分な親の愛情の下、自由に好きな事をするのが良い。親の過保護・過干渉は発達を阻害する。
特に「複雑で厳しい(上下関係や規律があり、よく考える必要がある)社会関係」がHQを育てるとされ、相手の心を理解し、自制しつつ協調的な社会関係を営むという事が脳内・脳間操作系を鍛えると考えられる。
HQは成人後も生き方により発達する。食事の栄養、目的と夢、社会との積極的な関わり、知識や経験の積み重ね、有酸素運動、恋をすることなど、様々な方法で伸びるが、自分が好きな事でなければ意味がない。脳は自分の好きな事をする事によって最も良く発達するのである。
ヒトがチンパンジーやゴリラと違い、脳を発達させた理由は言語とネオテニー化にある。言語により「抽象化」や「時間の概念」「将来の計画」が発展したとされ、その未来志向性のもとに行動や感情をコントロールする脳内・脳間操作系が発達したと考えられる。
ネオテニーとは「幼形成熟」ともいい、幼い特徴をもったまま成熟し、繁殖することである。身近な例では、犬が狼のネオテニー化した動物である。人類の家畜として生きるには、狼の子供の特徴を持っていた方が良かったのである。
人類はネオテニー化したチンパンジーであると考える事ができ、チンパンジーの子供の頭蓋骨はヒトの大人の頭蓋骨とよく似ている。身体的な特徴だけでなく、人間の行動は子供っぽい特徴を多く持っている。通常、子供は好奇心や探究心を強く持ちよく遊ぶことで環境に適応する術を学習するが、成熟すると好奇心や探究心は減退する。故に哺乳類は大人になると遊ばなくなるが、人間の場合は大人になっても遊ぶし、新しい事にも挑戦しようとする。
この視点で見るとモンゴロイドは最もネオテニー化が進んだ人種である。幼少期の延長・未熟化により子供っぽくなり、そのため親が育児をする期間が延び、脳が大型化し、学習能力が向上した。
ネグロイド、コーカソイドと比べてモンゴロイドは、成熟速度は最も遅く、寿命は最も長く、攻撃性は最も低く、衝動性は最も低く、注意深さは最も高く、婚姻の安定性は最も高く、遵法性は最も高く、管理運営能力は最も高く、性器は最も小さく、性交頻度は最も低い。脳の大きさに従いIQgやHQもモンゴロイドが最も高い数値を出している。注意すべきは、この事は人種に優劣をつける理由にはならず、ネグロイドが身体的知性や音楽的知性に秀でているように進化の方向と特性が異なるということである。
一般知能(IQg)を調べるテストはいくつかある。世界的かつ標準的な代表はイギリスで生まれアメリカで広く用いられている「キャッスル(Cattell)IQgテスト」と欧州の「レイバン(Raven)IQgテスト」である。
感想
前頭連合野の重要性が分かると共に、人間の生活・人生に対して脳科学がここまで言えるようになっているという事に驚かされた。本書は一般向けに書かれた本であり、学術書ではないためか著者の考え方や人柄、推論、社会問題に対して思う事などが多く含まれている。そういう遊びも楽しめた。特にネオテニー化の話は前頭連合野の進化過程を説明するためのものであったが、非常に興味深く、面白かった。
HQについて知る事で自分の性格や生き方、ひいては自分の脳の育て方についてより深く考える事が出来ると考えている。自分や他人を知る上でも、科学が最も確実性の高い資料になる事は、今のところ間違いないだろう。
2005年9月刊 318p
要約
脳はそもそも小さな機能(知性)が集ったモジュールの集合体であり、それらの知性を統括するのが前頭連合野のHQである。
ニューロンはコンピュータよりも伝達速度は遅いが、情報を並列処理する事に長ける。複雑に絡んだ知性の並列処理こそが知性の多重性を生み、それらを統括するシステムとして生まれたのが前頭連合野である。
また脳は多重性の他に「階層性」を持ち、取り込んだ情報を再構成・再構築して対象を認識する際の過程が細かい処理を段階的に行うようになっている。そのため知性も階層性を備えており、我々は階層的処理を経て世界を再構成し認識するように出来ている。
前頭連合野の知性HQは様々な知性(認知心理学の広義な分類による言語的知性・絵画的知性・空間的知性・論理数学的知性・音楽的知性・身体運動的知性など)を統括しながら人間の中心となる「自我」を形成している。システムとしては「脳内操作系(自分の脳活動をモニターしつつ適切に操作するシステム)」と「脳間操作系(他者の脳活動を上手く読み取りつつ操作するシステム)」を司り、社会的に上手く生きていく能力に繋がっているため、即ち人生の成功・幸福とも相関するとされる。
EQ(感情的知性)は脳科学的にはHQの下部組織で、自分の感情を制御する働きの事であるが、それだけの知性であり、具体的にどのような脳領域と結びついているかは曖昧である。
HQの役割とは社会の中で将来に向けた計画を立てながら前向きかつ理性的に生きることにあり、多くの研究や症例から以下の諸能力を含む。
○将来へ向けた展望・夢(未来性志向)、計画性
○高度な思考力、問題設定および問題解決能力、一般知能(IQg)
○主体性、独創性、想像性
○好奇心、探究心、やる気、意志力、集中力
○幸福感、達成感
○理性(感情の制御)、自己制御、社会性(とくに協調性)、「心の理論」
将来への展望・計画、一般知能(IQg)を中心にその下の三つの項目が絡み合い、他者とは理性・社会性・心の理論で繋がっている図である。
将来へ計画を立てて行動出来るのは人間のみであり、特殊かつ固有の能力である。IQgとは全ての知的作業に共通する知性「General intelligence」のことで、IQが言語性知能と行為性知能を足して2で割ったようなものであるのに対して、IQgは全ての知能に関係する最高次の知能である。
IQgに関わる領域は前頭連合野の中でも中心的な領野である46野で、ワーキングメモリのセンターでもあるため、IQgとワーキングメモリは深く関係する。IQは前頭連合野以外の脳領域の知能だが、IQgは前頭連合野の中心的な知能指数であり、IQが高くともIQgが低い場合がある。またIQgはIQと違い、「人生の成功度」とも深く相関するとされている。
IQgの60%が遺伝であり、残りの40%は成長過程の教育・環境に影響される。60%というのは脳科学的に一般的な数字であり、悲観するものではない。遺伝的にIQgが低くとも、きちんとした環境で脳を育てれば全体として十分に伸びる事を意味する。
うつ病や統合失調症など前頭連合野の異常によって起こる病気は多くあり、ストレスや環境等で一時的にHQの能力が低下する事もある。人の行動や健康に深く関係し、事実上性格にも関係するため、 昨今の若者の将来への展望や目標がなく刹那的というのはHQ能力の低下と見る事も出来、様々な社会問題や犯罪にも関係していると推測されるが余談である。
脳の様々な知性には臨界期があるが、前頭連合野の発達のピークは4歳~6歳にあり、HQの臨界期は8歳頃までと言える。HQを育てるには十分な親の愛情の下、自由に好きな事をするのが良い。親の過保護・過干渉は発達を阻害する。
特に「複雑で厳しい(上下関係や規律があり、よく考える必要がある)社会関係」がHQを育てるとされ、相手の心を理解し、自制しつつ協調的な社会関係を営むという事が脳内・脳間操作系を鍛えると考えられる。
HQは成人後も生き方により発達する。食事の栄養、目的と夢、社会との積極的な関わり、知識や経験の積み重ね、有酸素運動、恋をすることなど、様々な方法で伸びるが、自分が好きな事でなければ意味がない。脳は自分の好きな事をする事によって最も良く発達するのである。
ヒトがチンパンジーやゴリラと違い、脳を発達させた理由は言語とネオテニー化にある。言語により「抽象化」や「時間の概念」「将来の計画」が発展したとされ、その未来志向性のもとに行動や感情をコントロールする脳内・脳間操作系が発達したと考えられる。
ネオテニーとは「幼形成熟」ともいい、幼い特徴をもったまま成熟し、繁殖することである。身近な例では、犬が狼のネオテニー化した動物である。人類の家畜として生きるには、狼の子供の特徴を持っていた方が良かったのである。
人類はネオテニー化したチンパンジーであると考える事ができ、チンパンジーの子供の頭蓋骨はヒトの大人の頭蓋骨とよく似ている。身体的な特徴だけでなく、人間の行動は子供っぽい特徴を多く持っている。通常、子供は好奇心や探究心を強く持ちよく遊ぶことで環境に適応する術を学習するが、成熟すると好奇心や探究心は減退する。故に哺乳類は大人になると遊ばなくなるが、人間の場合は大人になっても遊ぶし、新しい事にも挑戦しようとする。
この視点で見るとモンゴロイドは最もネオテニー化が進んだ人種である。幼少期の延長・未熟化により子供っぽくなり、そのため親が育児をする期間が延び、脳が大型化し、学習能力が向上した。
ネグロイド、コーカソイドと比べてモンゴロイドは、成熟速度は最も遅く、寿命は最も長く、攻撃性は最も低く、衝動性は最も低く、注意深さは最も高く、婚姻の安定性は最も高く、遵法性は最も高く、管理運営能力は最も高く、性器は最も小さく、性交頻度は最も低い。脳の大きさに従いIQgやHQもモンゴロイドが最も高い数値を出している。注意すべきは、この事は人種に優劣をつける理由にはならず、ネグロイドが身体的知性や音楽的知性に秀でているように進化の方向と特性が異なるということである。
一般知能(IQg)を調べるテストはいくつかある。世界的かつ標準的な代表はイギリスで生まれアメリカで広く用いられている「キャッスル(Cattell)IQgテスト」と欧州の「レイバン(Raven)IQgテスト」である。
感想
前頭連合野の重要性が分かると共に、人間の生活・人生に対して脳科学がここまで言えるようになっているという事に驚かされた。本書は一般向けに書かれた本であり、学術書ではないためか著者の考え方や人柄、推論、社会問題に対して思う事などが多く含まれている。そういう遊びも楽しめた。特にネオテニー化の話は前頭連合野の進化過程を説明するためのものであったが、非常に興味深く、面白かった。
HQについて知る事で自分の性格や生き方、ひいては自分の脳の育て方についてより深く考える事が出来ると考えている。自分や他人を知る上でも、科学が最も確実性の高い資料になる事は、今のところ間違いないだろう。
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